2018-01-01から1年間の記事一覧

春日部市大池

発見日:‎2018年9月29日 発見場所:春日部市南五丁目付近大池は東武伊勢崎線一ノ割駅の北西部に位置する地名である。南五丁目にある同名の池から名前が取られている。昔からの町名・小字ではないが、明治初期頃には同地域の小字となっていた。しかし、その後…

春日部市大字粕壁字新宿

発見日:‎2018年8月13日 発見場所:春日部市緑町六丁目付近字新宿があった場所は、江戸時代は元新宿と呼ばれていた。また、日光街道沿いの宿場には新宿という町があった。粕壁宿が日光街道の宿駅に定められたのちに、郊外から住民が移り住んで新宿ができたそ…

春日部市大字粕壁字草刈場

発見日:‎2018年10月6日 発見場所:春日部市緑町一丁目付近字草刈場も字土井と同じ頃にできた小字のようだ。名前からしていかにも植物を採取するための共有地といった感じである。粕壁町略図では東武野田線と東武伊勢崎線が交わる線路周辺に位置しているが、…

春日部市大字粕壁字土井

発見日:‎2018年8月13日 発見場所:春日部市緑町三丁目付近土井も粕壁宿の郊外にあった小字であるが、川久保のように昔からあったものではない。字(小字)は太閤検地によって制度化されたものであるが、明治期には地租改正に伴いいくつかの小字が整理統合さ…

春日部市大字粕壁字川久保

発見日:‎2018年8月13日 発見場所:春日部市緑町二丁目付近川久保は粕壁宿の郊外に位置していた集落で、粕壁宿の小字にもなっていた。小字が整理統合された後も字川久保は残り続けた。かつては農村だった地域もその後大半が住宅地となり、住居表示実施により…

春日部市内谷

発見日:‎2018年9月29日 発見場所:春日部市南一丁目付近これまで春日部駅の東口側の通称町名を紹介してきたが、今回紹介するのは西口側に位置するものである。春日部駅の西口側はかつてはほとんどが田んぼであった。しかし戦後になって開発が進むのに伴い、…

春日部市陣屋町

発見日:‎2018年10月20日 発見場所:春日部市粕壁三丁目付近陣屋は粕壁宿を構成していた町の一つである。町村制施行後も通称町名として存在し続け、戦後まで残っていたようだ。しかし、現在春日部市には陣屋の名を冠する町内会は存在しない。春日部市の通称…

春日部市内出町

発見日:‎2018年8月11日 発見場所:春日部市粕壁四丁目付近内出という地名は古くから存在し、粕壁宿を構成する町・小字の一つとなっていた。小字が整理統合されたあとも、字内出は生き残り続けた。一方通称町名としての内出も存在しており、字内出の一部を指…

春日部市一宮町

発見日:‎2018年8月19日 発見場所:春日部市粕壁東二丁目付近 現地名:春日部市粕壁東四丁目?旧粕壁町エリアの通称町名探しであるが、結構難航している。エリアの大半を占める粕壁東一〜六丁目の成立は1975年(昭和50年)とまあまあ遅いのだが、新しく住宅…

春日部市本町

発見日:‎2018年8月11日 発見場所:春日部市粕壁東一丁目付近本町も通称町名であるが、なんとデンリョクに通称町名が書かれている!まあ確かに「カスカベ」としか書かれていなかったら範囲が広すぎてどこだかわからない。町名の下に書かれている支社名は「越…

春日部市仲町

発見日:‎2018年8月18日 発見場所:春日部市粕壁東一丁目付近下のほうがかすれていて肉眼でも判読は難しいくらいだったが、画像処理でコントラストを上げたらだいぶ読めるレベルになった。本ブログでは意図的に消されているものは紹介しないことにしているが…

春日部市上町

発見日:‎2018年8月11日 発見場所:春日部市粕壁一丁目付近東武野田線・東武伊勢崎線が通る春日部駅の東口側のエリアは、江戸時代は日光街道の宿場町となっており、粕壁宿と呼ばれていた。幕末頃には粕壁宿は内出、陣屋、寺町、上宿、中宿、裏町、新宿、三枚…

鳩ヶ谷町大字鳩ヶ谷

発見日:‎2017年4月28日 発見場所:川口市鳩ヶ谷本町四丁目付近以前「福岡町」のあとにすぐ地番が書かれている地名表記を紹介した。今回はその鳩ヶ谷町バージョンである。福岡町のケースでは、大字福岡が省略されているという解釈をしたが、同様にこちらも大…

大宮市砂町二丁目

発見日:‎2018年3月4日 発見場所:さいたま市見沼区東大宮三丁目付近砂町は以前に一丁目を紹介しているが、あまり状態が良くなかったので二丁目も紹介する。砂町一丁目の一部ほかから東大宮七丁目が成立したのは平成に入ってからであるが、砂町二丁目の一部…

与野市大字大戸字上太寺

発見日:‎2016年8月17日 発見場所:さいたま市中央区新中里一丁目付近大字大戸字上太寺は以前にも紹介したが、「上大寺」と誤って書かれたものだった。今回のは「上太寺」と正しく書かれている。郵政宿舎の入口に設置されていたプレートなのだが、さすがに住…

さいたま市緑区大字大門字宮下

発見日:‎2018年5月18日 発見場所:さいたま市緑区美園四丁目付近今回発見した旧地名は自動販売機の住所表示ステッカーに書かれていたものである。自動販売機の中にはこのようにその場所の住所を示すステッカーが貼られているものがある。美園一〜六丁目は埼…

浦和市大字三室字西宿

発見日:‎2016年12月23日 発見場所:さいたま市緑区道祖土四丁目付近大字三室字西宿は現存地名である。大字三室のうちかつての宿組の統治区域は今は字西宿・東宿・北宿・南宿となっており、その区域の大半は住居表示未実施である。しかし、隣接する道祖土一…

浦和市大字原山新田

発見日:‎2017年8月20日 発見場所:さいたま市緑区原山二丁目付近原山新田は以前デンリョクを紹介しているのだが、正式名称が書かれたものも紹介しておく。小字付きのものが見つかれば胸を張って紹介できるのだが、今のところ見つかっていない。現町名の原山…

浦和市大字上木崎

発見日:‎2017年1月16日 発見場所:さいたま市浦和区上木崎七丁目付近大字上木崎は現在上木崎一〜八丁目として名前が残っているが、こちらも珍しい旧大字名が書かれた町名表示板なので取り上げる。企業の広告が入っているので撤去されずに残っているのだろう…

浦和市大字大谷場

発見日:‎2016年10月24日 発見場所:さいたま市浦和区神明一丁目付近本ブログでは通常、大字○○という旧地名が○○△丁目や○○町として現在も名前が残っている場合、小字付きのものでなければ紹介していない。というのは、そのような旧地名はあまりにありふれすぎ…

浦和市西浦和二丁目

発見日:‎2018年2月12日 発見場所:さいたま市南区内谷六丁目付近西浦和は以前にも紹介したが、そのときは曲本二丁目で発見したものであった。今回はそこからけっこう離れた内谷六丁目で再び西浦和を発見したので紹介する。西浦和がかなり広い区域(現在の曲…

朝霞市大字浜崎字川端

発見日:‎2016年8月16日 発見場所:朝霞市浜崎三丁目付近駐車場の看板から。これを最初見つけたときは、古い所在地が誤って書かれているのだと思った。というのは、浜崎三丁目が成立したのは1974年(昭和49年)なのに、この看板がそんなに古いものには見えな…

新座町大字片山字西ノ原

発見日:‎2017年9月7日 発見場所:新座市畑中一丁目付近ここからは過去に発見はしていたが、訳あって紹介していなかったブツを紹介していく。いよいよネタ切れがヤバくなってきた証である。大字片山字西ノ原は以前にも紹介しているが、そのときは新座市大字…

岩槻市大字南平野字深町

発見日:‎2018年5月13日 発見場所:さいたま市岩槻区東岩槻三丁目付近南平野は東武野田線東岩槻駅の西方および南方に位置していた大字である。現在は東岩槻、上里、南平野(一〜五丁目)などとなっているが、大字区域も元荒川の対岸にわずかに残っている。大…

岩槻市大字木曽良

発見日:‎2018年5月4日 発見場所:さいたま市岩槻区府内二丁目付近府内一〜四丁目は、岩槻城の大構の内部を府内と呼んだことから名づけられている。しかし、府内一〜四丁目の全区域が府内にあったかというと微妙である。上のリンク先の地図を見ると、府内一…

岩槻市大字加倉字川通

発見日:‎2017年2月9日 発見場所:さいたま市岩槻区加倉二丁目付近他に比べて発見日が古いが、宮ヶ谷塔を探索中に岩槻区に迷い込んでしまい、そのときに偶然発見したものである。加倉一〜五丁目の成立は1990年(平成2年)・1991年(平成3年)と遅めなので、…

岩槻市大字加倉字谷ツ合

発見日:‎2018年5月20日 発見場所:さいたま市岩槻区東町二丁目付近加倉(かくら)は大字岩槻の南西に位置していた大字である。現在は本町、東町、加倉(一〜五丁目)、並木、原町などとなっているが、大字区域も一部残っている。大字加倉はかつては柏崎村に…

岩槻市大字岩槻字東

発見日:‎2018年5月2日 発見場所:さいたま市岩槻区城南二丁目付近前回の記事で、岩槻城に付属する耕地だった東原地、西原地が大字岩槻の字東原、西原となったと書いた。こちらの資料では、昭和8年〜12年に行われた耕地整理で岩槻町大字岩槻字東原の一部が柏…

岩槻市大字岩槻字西原

発見日:‎2018年5月19日 発見場所:さいたま市岩槻区西原付近角川日本地名大辞典の小字一覧には、岩槻町の小字として「東原地、府内、西原地」が挙げられている。府内は大構の内側のエリアを指すが、東原地と西原地は大構の外側に位置していた。これらは岩槻…

岩槻市大字太田字竹笧曲輪

発見日:‎2018年5月2日 発見場所:さいたま市岩槻区本丸三丁目付近前回の記事で岩槻城下町が岩槻町の大字岩槻になったと書いたが、その中には城郭と士族屋敷があったエリアは含まれていない。こちらの文献によると、もともと藩士の居住地は城下町の一部とは…