岩槻市大字加倉字中島

発見日:2023年12月9日

発見場所:さいたま市岩槻区加倉五丁目付近

 

前回の記事では酷暑で外を出歩けないと書いたが、今はもう年末である。この間に風邪を三回引いたりして、あまり探索はできていなかった。今回紹介するのもそれほど貴重というほどのものではないが、リハビリがてらに紹介する。

大字加倉は岩槻駅から近い位置にあり、古くから本町や東町といった町の一部になっていた。残った区域に住居表示が実施されたのは平成になってからで、1990年(平成2年)に加倉一~四丁目、翌年に加倉五丁目、原町、並木一・二丁目が成立した。しかし、大字区域もだいぶ残っている。

したがって、今回見つけた旧地名は最近のものである。いや、最近といっても30年以上経っているのだが、旧地名(旧町名)の世界では、平成以降は最近なのである(そして2000年以降は「つい最近」である)。

加倉五丁目と同時期に成立した原町であるが、大字加倉と大字柏崎の一部から成立している。原町の名称は大字柏崎の小字「原」から来ており、原町全域および一部周辺は柏崎原自治会の区域になっている。原町の北を通る国道には柏崎交差点があるが、原町、東町、城南に囲まれた位置にあり、大字柏崎は近くにない。昔からある交差点で名前が変わっていないのか、それとも柏崎の地域名に愛着がある地域住民の要望によるものなのか。こういうところからも区域の変遷が見て取れて面白い。

 

川口市大字芝字杉橋

発見日:2021年9月10日

発見場所:川口市芝一丁目付近

今年は記録的な酷暑で、お盆が明けてもまだ外を出歩けたものではない。X(旧twitter)でフォローしている街歩き系の人たちは元気に出かけていたりするが、もともと暑いのが苦手な私には無理だ。そういう訳で過去のストックを掘り起こして記事を書いている。

かつての記事で、芝地区は旧地名が簡単に見つかるが、一度に取りすぎて枯渇しないようにするみたいなことを書いている。その後、芝地区にはたびたび訪れているが、言うほど簡単には見つかっていない。今回紹介するのは、二年前のちょうど今頃にたまたま見つけた旧地名である。

さて、芝地区は京浜東北線沿いにあり、蕨駅から近いので、現在は住宅街となっている。しかし、戦前はそのほとんどが農地だった。大正期にほぼ全域で耕地整理が行われ、直線的な区画が整備された。高度成長期に住宅需要が急激に増加し、鉄道沿いの区域はどんどん宅地化されていったが、耕地整理で定められた区画がそのまま活用されている。芝地区に近い、蕨市南町と戸田市喜沢にまたがった区域も直線的な区画が広範囲にわたっているが、同様に大正期に耕地整理が行われた区域である。

その耕地整理の際に、字区域の変更も行われた。姉妹サイトのほうに地図を載せているので見ていただきたいが、曲がりくねった境界が直線的になっているだけでなく、いくつかの小字が消滅している。今回発見した字杉橋ももともとは字内谷だった区域の大半が編入している。明治初期の字届出書に名前があるのに、その後の行方が知れない小字はけっこうあるが、多くはこのような耕地整理に伴って消滅したものである。

耕地整理は昭和に入っても行われているが、はじめから宅地化を目的としたものが多くある。浦和耕地整理、与野耕地整理、大宮耕地整理など、もともと町として栄えていた地域やその周辺において、次々と耕地整理が行われた。このときに字区域の変更も行われているのだが、残念ながら昭和初期の耕地整理に関する資料があまり残っていない。字区域の変遷を調べようとすると、そこがネックとなり、追跡が途絶えてしまう。それでも断片的な資料に基づいて推測しているのが現状である。

現在は小字が残っている区域は少ないが、広範囲にわたって境界が直線的になっていたら、その区域は耕地整理(戦後は土地改良)が行われた可能性が高い。現在は小字は絶滅寸前のように思われているところがあるが、農村地域などでは今でも土地改良に伴う字区域の変更が行われていたりする。

浦和市高砂町五丁目

発見日:2023年5月3日

発見場所:さいたま市浦和区高砂町付近

高砂町四丁目は既に紹介しているが、高砂町五丁目は特別な意味を持つ。1965年(昭和40年)に住居表示が実施され、高砂町一~四丁目は高砂一~四丁目になったが、高砂町五丁目は東高砂町になった。同様に、仲町五丁目が東仲町、岸町八丁目が東岸町になった。

仲町五丁目については既に紹介済みである。岸町八丁目はまだ見つけてないが、探せば見つかるような気がする。なんとなくこれらはすべて紹介済みのつもりでいたので、真剣に探していなかった。今回高砂町五丁目を発見できたのも、たまたま通りかかっただけの偶然によるものである。

以前も書いたように、常盤町仲町高砂町の町名はかつての浦和宿の上町、中町、下町が明治期になって縁起の良い名前に変えられたものである。ただし、これらはあくまで通称町名であって、正式な町名になったのは市制施行後の1937年(昭和12年)である。

このとき、市制の準備をしていた浦和町は、新しい町名を一般公募したそうである。昭和2年の浦和総覧にその新しい町名が入った地図が載っているのだが、まず高砂区、仲区、常盤区、岸区に大きく分かれており、その中に本町(一~三丁目)、日出町(一~三丁目)、仲ノ町、春日町、初音町、仲町(一~二丁目)、有楽町、弥生町、行幸町、久保町、鹿島町(一~三丁目)、永住町、富士見町、本石町(一~三丁目)、桜町、矢頭町、林町、清ヶ谷町、若松町、真砂町、末広町といった町名が書かれている。

なんとも豪華な町名が並んでいるが、結局これらが正式な町名となることはなかった。それまで通称で使われていた町名のほうがなじみがあったということだろう。そのせいで常盤町は十丁目まである広大な町になってしまったが。

この話は「地名でたどる埼玉県謎解き散歩」という文庫本に書かれていたものである。この本には他にも興味深い話がたくさん書かれているので、ぜひ一読をお勧めする。

 

川越市笠幡新町

発見日:2023年2月12日

発見場所:川越市大字笠幡付近

ぱっと見、そういう町名が普通にあるように見えて、素通りしそうになった。川越市には脇田新町、吉田新町、上戸新町、広谷新町、大塚新町と「~新町」という町名が多くあるので、これもその類であるかのように見える。しかし、発見場所は大字区域で、そのような町名は実際は存在しない。

それでは、大字笠幡の小字かというと、そうでもない。大字笠幡には字上新町、字中新町、字下新町があるが、字新町はない。なお、この地名を発見した場所は字中新町に位置する。ちなみにどうでもいいことだが、川越市の小字をほぼ網羅している「川越の地名調査報告書」掲載の地図には、上新町、中新町、下新町が誤って上新田、中新田、下新田と書かれている。

大字笠幡には新町自治会があるので、おそらくこれは通称町名の類だろう。ただし、人文社の埼玉県市街地図集には載ってないので、あまり一般的に使われているものではないかもしれない。あるいは、単に笠幡中新町と書くべきところを誤って笠幡新町と書いてしまっただけかもしれない。そうだとしたら少し拍子抜けである。

 

岩槻市大字南平野字中通丸田

発見日:2022年6月4日

発見場所:さいたま市岩槻区南平野一丁目付近

これまで各地の通称町名を紹介してきたが、いよいよストックが尽きてしまった。実は深谷市本庄市の通称町名を少し見つけてはいたのだが、そちらはcitywalk2020さんがたくさん紹介してくださったので、私はもっと地味なやつを紹介することにする。 

今回紹介するのは、元荒川沿いに設置されていた占用許可の標識に書かれていた旧地名である。公的な標識なので、地番も隠さずに載せている。字中通丸田と字深町が併記されているが、字深町は紹介済みなので、表題は字中通丸田とした。

小字は江戸時代以前から土地の小区画を指す地名として使われていたが、現代につながる行政区画としての小字は明治の地租改正のときに定められたものである。この制定直後の小字のリストが、北足立郡新座郡南埼玉郡については字届書/字名称調として記録されている。旧岩槻市の範囲については、「岩槻市史 近・現代資料編1」でも見ることができる。

南埼玉郡の字名称調に記載されている南平野村の小字は、丸田耕地、中道リ丸田耕地、深町耕地などのつい最近まで残っていたもののほかに、干場、杉下、榎際などの聞いたことのない名前が載っている。このようなことは他の町村についてもしばしば見られるのだが、どうやら小字だけでなく小名が混ざっているようだ。

資料の原本のほうを見ると、小字は上段、小名は中・下段と一応書き分けられているように見える。また、「~耕地」がついているのが小字で、そうでないものが小名と見分けることもできる。他の町村の例では、小字と小名が明示的に分けられているものもあれば、小名しか載っていないものもあったりする。リストを残してくれているだけ他の郡よりましなのだが、こうなるとリストの正確性に疑問が生じる。

ちなみに小字と小名は何が違うのかというと、基本的に小字は土地に付けられた名前で、小名は集落名と考えて良いと思う。もともと小字は耕地にのみ付されていたのが、明治の地租改正で山間部などの耕地以外にも付されるようになった。明治期の文献で小字に「~耕地」とついたものが多いのはその名残りといえる。しかし、この「~耕地」は時代が経つにつれて徐々に外されるようになり、現代では「前耕地」「上耕地」のような例を除くとあまり見られなくなった。

 

春日部市松河町

発見日:2018年8月18日

発見場所:春日部市小渕付近

松河町は春日部市(大字)小渕で用いられていた通称町名であるが、見つけたのは4年前である。当時は大字区域で発見した通称町名は旧地名の定義に当てはまらないとして、独立した記事としては紹介していなかった。しかしその後、通称町名が書かれた表札を多数見つけるに至り、かつての埼玉県における通称町名の重要性を感じるようになった。そこで今回、満を持して4年越しに記事を書くことにした。

旧粕壁宿の街並みは古利根川を挟んだ北方の八丁目村まで続いており、新町と呼ばれていた。昭和以降も(大字)八丁目の通称町名として新町、新仲町、上組、下組、新田、五丁田が使われていた。その八丁目に隣接する(大字)小渕で松河町、追分、本村、観音前、原前、島組という通称町名が使われていたようだ。

過去形で書いてはいるが、現在も自治会にこれらの名前はすべて残っている。松河町についていえば、商店会のプレートがあったりして現役で使われている町名という感じがする。

春日部市宮本町

発見日:2022年10月4日

発見場所:春日部市粕壁付近

たまたま調べものをしていたら、本ブログと同様に埼玉県の旧地名を探している人のブログを見つけた。埼玉県に限らず、東京・千葉など広範囲にわたって探索しており、ホーロー看板や道路元標など旧地名以外のものも扱っている。このブログでは、本ブログで未発見の旧地名が多数紹介されていて驚いた。

特に「谷田村大字大谷口字向原」「新座町大字野火止字志木」「上尾市大字柏座字飛地」の三つはすごくて、もしこれらを私が発見していたら、喜び勇んでブログに記事を書いていたことだろう。そのコレクションの充実ぶりは、感心を通り越して嫉妬すら覚える(あるいは自分のこれまでの調査の杜撰さにあきれる)。しかし、このような狭い分野の趣味で同志がいたことは素直に喜びたい。

記事内ではたびたび弊ブログの名前を挙げていただいており大変光栄なのだが、こちらから連絡を取りたくても方法がわからない。もしこれをご覧になられていたら、ぜひご連絡お待ちしております。

さて、東武野田線八木崎駅周辺から北東にかけて、現在も住居表示未実施の大字区域がある。駅前の一等地に一部だけ大字区域が残っているのは、区画整理が何らかの理由で進んでいないことによるもので、与野駅や鶴瀬駅などにも例が見られる。現在の地名は大字粕壁字八木崎と大字粕壁字浜川戸であるが、このあたりでかつて宮本町という通称町名が使われていたようだ。宮本町という名前は、春日部八幡神社に由来するものと思われる。粕壁宿の郊外に位置するため、昔からの町名ではなく戦後に作られた町名のようだ。

これまで春日部市の通称町名を多数紹介してきたが、宮本町は未発見だった。大字区域だったため、あまり真剣に探さなかったというと言い訳になるのだが、上記ブログではなんと宮本町の表札を四か所で見つけている。ここでもまた、自分の調査の杜撰さが知れるというものである。

かつて、大字区域で発見した通称町名は現行でも使われてるかもしれないという理由で、独立した記事としては紹介してこなかった。しかし、ここ最近は埼玉県内でかつて使われていた通称町名をいくつも発見しており、通称町名に対する関心が高まってきた。そういうわけで、今回の通称町名も大字区域で発見したものであるが、本ブログで取り上げることにした次第である。