朝霞市大字根岸字中笹原
発見日:2025年8月13日
発見場所:朝霞市根岸台七丁目付近
また10ヶ月ぶりの更新である。いつも暑い暑い言っているが、今年もまた記録を塗り替える暑さであった。あまり更新できていなかった理由は、単純に新しい旧地名を見つけられていないからなのだが、今回久しぶりに見つけたので取り上げる。
以前の記事で朝霞市の大字根岸と大字台の関係について紹介した。台村は根岸村から分村したものであるが、大名に対する恩賞の調整のために村を細かく分割して支配させたようである。そのため、大字根岸と大字台の区域はモザイク状に入り混じっており、同じ小字が大字根岸と大字台の両方に存在した。
そして今回見つけたのが、以前見つけた「大字台字中笹原」と対になる「大字根岸字中笹原」である。たまたま同じ小字で見つかるとは、すごい偶然である。おかげで、取得済みのものかと思ってスルーしかけてしまった。
根岸という地名は台地の裾の低地につけられることが多いが、その根岸村の中で周囲より標高が高い部分に位置する集落が分離して台村になったのではないかと思われる。大字根岸の地図と大字台の地図は作成済みなので、これを国土地理院の標高地図と照らし合わせれば、この仮説が検証できるかもしれない(気が向いたらやる)。
草加市瀬崎町字堤外
発見日:2024年10月11日
発見場所:草加市瀬崎五丁目付近
前回の更新からなんと10ヶ月も経っている。今年は昨年以上の酷暑でしんどい日々であった。しかしながら、私も執筆に係わった地理系同人雑誌「地理交流広場」小字特集号が発刊されるなど、実りもある年であった。
今回発見した旧地名であるが、住居表示実施により瀬崎一〜七丁目が成立したのは2011年(平成23年)と新しいため、旧町名である瀬崎町の表記は至るところで見られる。草加市は草加町が市制施行した際に、市内の大字区域を町に変更した。ただし、町村制施行時に草加町だった区域以外では、元の大字の区域はそのままで名称変更のみが行われ、小字もそのまま存続した。したがって、○○町字△△という一見奇妙な表記が存在するのである。
小字名の堤外は、川沿いの区域ではよく見られるポピュラーな地名である。しかし、通常は人が住んでいない河原などに付けられているため、表札で見るとやや違和感を覚える。近くには伝右川が流れており、流路が大きく曲がっている場所の先が字堤外の区域である。伝右川は井手伝右衛門が開削した用水であるが、かつてはよく氾濫したらしい。昭和54年に大規模な河川改修が行われ、人が住めるようになったようだ。
岩槻市大字加倉字中島
発見日:2023年12月9日
発見場所:さいたま市岩槻区加倉五丁目付近
前回の記事では酷暑で外を出歩けないと書いたが、今はもう年末である。この間に風邪を三回引いたりして、あまり探索はできていなかった。今回紹介するのもそれほど貴重というほどのものではないが、リハビリがてらに紹介する。
大字加倉は岩槻駅から近い位置にあり、古くから本町や東町といった町の一部になっていた。残った区域に住居表示が実施されたのは平成になってからで、1990年(平成2年)に加倉一~四丁目、翌年に加倉五丁目、原町、並木一・二丁目が成立した。しかし、大字区域もだいぶ残っている。
したがって、今回見つけた旧地名は最近のものである。いや、最近といっても30年以上経っているのだが、旧地名(旧町名)の世界では、平成以降は最近なのである(そして2000年以降は「つい最近」である)。
加倉五丁目と同時期に成立した原町であるが、大字加倉と大字柏崎の一部から成立している。原町の名称は大字柏崎の小字「原」から来ており、原町全域および一部周辺は柏崎原自治会の区域になっている。原町の北を通る国道には柏崎交差点があるが、原町、東町、城南に囲まれた位置にあり、大字柏崎は近くにない。昔からある交差点で名前が変わっていないのか、それとも柏崎の地域名に愛着がある地域住民の要望によるものなのか。こういうところからも区域の変遷が見て取れて面白い。
川口市大字芝字杉橋
発見日:2021年9月10日
発見場所:川口市芝一丁目付近
今年は記録的な酷暑で、お盆が明けてもまだ外を出歩けたものではない。X(旧twitter)でフォローしている街歩き系の人たちは元気に出かけていたりするが、もともと暑いのが苦手な私には無理だ。そういう訳で過去のストックを掘り起こして記事を書いている。
かつての記事で、芝地区は旧地名が簡単に見つかるが、一度に取りすぎて枯渇しないようにするみたいなことを書いている。その後、芝地区にはたびたび訪れているが、言うほど簡単には見つかっていない。今回紹介するのは、二年前のちょうど今頃にたまたま見つけた旧地名である。
さて、芝地区は京浜東北線沿いにあり、蕨駅から近いので、現在は住宅街となっている。しかし、戦前はそのほとんどが農地だった。大正期にほぼ全域で耕地整理が行われ、直線的な区画が整備された。高度成長期に住宅需要が急激に増加し、鉄道沿いの区域はどんどん宅地化されていったが、耕地整理で定められた区画がそのまま活用されている。芝地区に近い、蕨市南町と戸田市喜沢にまたがった区域も直線的な区画が広範囲にわたっているが、同様に大正期に耕地整理が行われた区域である。
その耕地整理の際に、字区域の変更も行われた。姉妹サイトのほうに地図を載せているので見ていただきたいが、曲がりくねった境界が直線的になっているだけでなく、いくつかの小字が消滅している。今回発見した字杉橋ももともとは字内谷だった区域の大半が編入している。明治初期の字届出書に名前があるのに、その後の行方が知れない小字はけっこうあるが、多くはこのような耕地整理に伴って消滅したものである。
耕地整理は昭和に入っても行われているが、はじめから宅地化を目的としたものが多くある。浦和耕地整理、与野耕地整理、大宮耕地整理など、もともと町として栄えていた地域やその周辺において、次々と耕地整理が行われた。このときに字区域の変更も行われているのだが、残念ながら昭和初期の耕地整理に関する資料があまり残っていない。字区域の変遷を調べようとすると、そこがネックとなり、追跡が途絶えてしまう。それでも断片的な資料に基づいて推測しているのが現状である。
現在は小字が残っている区域は少ないが、広範囲にわたって境界が直線的になっていたら、その区域は耕地整理(戦後は土地改良)が行われた可能性が高い。現在は小字は絶滅寸前のように思われているところがあるが、農村地域などでは今でも土地改良に伴う字区域の変更が行われていたりする。
浦和市高砂町五丁目
発見日:2023年5月3日
高砂町四丁目は既に紹介しているが、高砂町五丁目は特別な意味を持つ。1965年(昭和40年)に住居表示が実施され、高砂町一~四丁目は高砂一~四丁目になったが、高砂町五丁目は東高砂町になった。同様に、仲町五丁目が東仲町、岸町八丁目が東岸町になった。
仲町五丁目については既に紹介済みである。岸町八丁目はまだ見つけてないが、探せば見つかるような気がする。なんとなくこれらはすべて紹介済みのつもりでいたので、真剣に探していなかった。今回高砂町五丁目を発見できたのも、たまたま通りかかっただけの偶然によるものである。
以前も書いたように、常盤町、仲町、高砂町の町名はかつての浦和宿の上町、中町、下町が明治期になって縁起の良い名前に変えられたものである。ただし、これらはあくまで通称町名であって、正式な町名になったのは市制施行後の1937年(昭和12年)である。
このとき、市制の準備をしていた浦和町は、新しい町名を一般公募したそうである。昭和2年の浦和総覧にその新しい町名が入った地図が載っているのだが、まず高砂区、仲区、常盤区、岸区に大きく分かれており、その中に本町(一~三丁目)、日出町(一~三丁目)、仲ノ町、春日町、初音町、仲町(一~二丁目)、有楽町、弥生町、行幸町、久保町、鹿島町(一~三丁目)、永住町、富士見町、本石町(一~三丁目)、桜町、矢頭町、林町、清ヶ谷町、若松町、真砂町、末広町といった町名が書かれている。
なんとも豪華な町名が並んでいるが、結局これらが正式な町名となることはなかった。それまで通称で使われていた町名のほうがなじみがあったということだろう。そのせいで常盤町は十丁目まである広大な町になってしまったが。
この話は「地名でたどる埼玉県謎解き散歩」という文庫本に書かれていたものである。この本には他にも興味深い話がたくさん書かれているので、ぜひ一読をお勧めする。
川越市笠幡新町
発見日:2023年2月12日
発見場所:川越市大字笠幡付近
ぱっと見、そういう町名が普通にあるように見えて、素通りしそうになった。川越市には脇田新町、吉田新町、上戸新町、広谷新町、大塚新町と「~新町」という町名が多くあるので、これもその類であるかのように見える。しかし、発見場所は大字区域で、そのような町名は実際は存在しない。
それでは、大字笠幡の小字かというと、そうでもない。大字笠幡には字上新町、字中新町、字下新町があるが、字新町はない。なお、この地名を発見した場所は字中新町に位置する。ちなみにどうでもいいことだが、川越市の小字をほぼ網羅している「川越の地名調査報告書」掲載の地図には、上新町、中新町、下新町が誤って上新田、中新田、下新田と書かれている。
大字笠幡には新町自治会があるので、おそらくこれは通称町名の類だろう。ただし、人文社の埼玉県市街地図集には載ってないので、あまり一般的に使われているものではないかもしれない。あるいは、単に笠幡中新町と書くべきところを誤って笠幡新町と書いてしまっただけかもしれない。そうだとしたら少し拍子抜けである。
岩槻市大字南平野字中通丸田
発見日:2022年6月4日
発見場所:さいたま市岩槻区南平野一丁目付近
これまで各地の通称町名を紹介してきたが、いよいよストックが尽きてしまった。実は深谷市と本庄市の通称町名を少し見つけてはいたのだが、そちらはcitywalk2020さんがたくさん紹介してくださったので、私はもっと地味なやつを紹介することにする。
今回紹介するのは、元荒川沿いに設置されていた占用許可の標識に書かれていた旧地名である。公的な標識なので、地番も隠さずに載せている。字中通丸田と字深町が併記されているが、字深町は紹介済みなので、表題は字中通丸田とした。
小字は江戸時代以前から土地の小区画を指す地名として使われていたが、現代につながる行政区画としての小字は明治の地租改正のときに定められたものである。この制定直後の小字のリストが、北足立郡、新座郡、南埼玉郡については字届書/字名称調として記録されている。旧岩槻市の範囲については、「岩槻市史 近・現代資料編1」でも見ることができる。
南埼玉郡の字名称調に記載されている南平野村の小字は、丸田耕地、中道リ丸田耕地、深町耕地などのつい最近まで残っていたもののほかに、干場、杉下、榎際などの聞いたことのない名前が載っている。このようなことは他の町村についてもしばしば見られるのだが、どうやら小字だけでなく小名が混ざっているようだ。
資料の原本のほうを見ると、小字は上段、小名は中・下段と一応書き分けられているように見える。また、「~耕地」がついているのが小字で、そうでないものが小名と見分けることもできる。他の町村の例では、小字と小名が明示的に分けられているものもあれば、小名しか載っていないものもあったりする。リストを残してくれているだけ他の郡よりましなのだが、こうなるとリストの正確性に疑問が生じる。
ちなみに小字と小名は何が違うのかというと、基本的に小字は土地に付けられた名前で、小名は集落名と考えて良いと思う。もともと小字は耕地にのみ付されていたのが、明治の地租改正で山間部などの耕地以外にも付されるようになった。明治期の文献で小字に「~耕地」とついたものが多いのはその名残りといえる。しかし、この「~耕地」は時代が経つにつれて徐々に外されるようになり、現代では「前耕地」「上耕地」のような例を除くとあまり見られなくなった。






