浦和市西浦和二丁目


発見日:‎2018年2月12日
発見場所:さいたま市南区内谷六丁目付近

西浦和以前にも紹介したが、そのときは曲本二丁目で発見したものであった。今回はそこからけっこう離れた内谷六丁目で再び西浦和を発見したので紹介する。西浦和がかなり広い区域(現在の曲本一〜五丁目と内谷四〜七丁目)にわたっていたことがわかる。

ところで西浦和という地名はどこから取られたのだろうか。普通に考えると、JR武蔵野線西浦和駅から取られたと見るのが自然だろう。西浦和駅の開業は1973年(昭和48年)で、西浦和一〜五丁目の成立は1976年(昭和51年)なので、時系列的にもあっている。しかし、西浦和駅の所在地は田島五丁目(当時は大字田島)で、西浦和となった区域はそこから少し離れている。

実は、かつて戸田町にあった大字曲本・内谷・松本新田が1959年(昭和34年)に浦和市編入された際に、その区域が「西浦和地区」と呼ばれることになったそうである。実際、同区域には西浦和小学校、西浦和公民館など、西浦和の名が付く施設が多く存在する。したがって、西浦和の地名はこの西浦和地区から取られたと考えるのが妥当そうだ。