浦和市常盤町三丁目


発見日:‎2016年12月16日
発見場所:さいたま市浦和区常盤三丁目付近

浦和市の旧町名のほとんどは現町名に「町」が付いただけの面白くないものなので、これまで北浦和町くらいしか紹介して来なかった。しかし、本ブログもそろそろネタ切れが近づいているのと、たまには市の中心部も紹介したいということで、旧浦和市「『町』が付いただけ」旧町名巡りを企画することにした。

最初に取り上げるのは、浦和駅の北西から北浦和駅付近までの区域に位置していた常盤町である。一丁目から十丁目まであり、現町名の常盤もほぼ同じ区割りである。常盤町に住居表示が実施されたのは1965年(昭和40年)と結構古いのだが、さすがは旧浦和市の中心部だけあって古い家がたくさんあり、すぐに旧町名を見つけることができた。

浦和市の住居表示前の町名のうち、常盤町仲町高砂町、岸町の4つは1889年(明治22年)の浦和町成立時からの町域内にあった。浦和町の前身である浦和宿は江戸時代に中山道の宿場町として栄え、上町、中町、下町の3つに分かれていた。町制施行後から明治40年頃にかけて、これらの町名に代わり、常盤町仲町高砂町といった縁起の良い名前が使われるようになったようである。ちなみに岸町は町制施行の直前に岸村が浦和宿と合併してできたものである。

なお、使われるようになったといっても、これらの町名はあくまで通称町名であって、公式のものではなかった。東京市金沢市などの元城下町では、江戸時代からの町名が市制施行後に公式の町名としてそのまま引き継がれたが、埼玉県の町村においては江戸時代の町名が公式に引き継がれることはなかった。これは城下町か宿場町かという違いからではない。城下町であった川越町でもやはり江戸時代の町名は町としては引き継がれず、小字として引き継がれた。

この理由として考えられるのは、市か町村かの違いだと思われる。要するに、町村には町など贅沢で、字で十分だということである。あるいは単純に○○町△△町と町がかぶるのを避けたのかもしれないが。

そういうわけで、浦和町でも常盤町仲町高砂町、岸町などの町名は公式には存在せず、これらが公式な町名となるのは市制施行後の1937年(昭和12年)のことである。ちなみにそれまではどのように住所を表記していたかというと、「浦和町+地番」か「浦和町+小字+地番」が正式な表記であった。

角川日本地名大辞典Wikipedia では、「大字浦和宿」が設置されていたような記述があるが、私はこれは疑わしいと思っている。というのは、浦和町は浦和宿が単独で町制施行しているので大字を設置する必要がなかったというのと、国立国会図書館のサイトで見られる浦和総覧(昭和2年)という資料に、「浦和町には従来公称の字名なく・・・」と書かれているからである。ここでいう字名は町・大字のことで、小字は存在した。官報などの公的な書類における所在地表記は「浦和町+小字」で書かれていた。

あるとしたら、市制施行の2年前の1932年(昭和7年)に木崎村と谷田村が浦和町に編入されているのだが、このときに大字浦和宿が設置された可能性はある。しかし、昭和10年の官報でも浦和中丸郵便局の所在地が「浦和市字中丸」と表記されており、大字浦和宿は仮に存在したとしてもほとんど使われることはなかったのではないだろうか。