川口市大字芝字杉橋

発見日:2021年9月10日

発見場所:川口市芝一丁目付近

今年は記録的な酷暑で、お盆が明けてもまだ外を出歩けたものではない。X(旧twitter)でフォローしている街歩き系の人たちは元気に出かけていたりするが、もともと暑いのが苦手な私には無理だ。そういう訳で過去のストックを掘り起こして記事を書いている。

かつての記事で、芝地区は旧地名が簡単に見つかるが、一度に取りすぎて枯渇しないようにするみたいなことを書いている。その後、芝地区にはたびたび訪れているが、言うほど簡単には見つかっていない。今回紹介するのは、二年前のちょうど今頃にたまたま見つけた旧地名である。

さて、芝地区は京浜東北線沿いにあり、蕨駅から近いので、現在は住宅街となっている。しかし、戦前はそのほとんどが農地だった。大正期にほぼ全域で耕地整理が行われ、直線的な区画が整備された。高度成長期に住宅需要が急激に増加し、鉄道沿いの区域はどんどん宅地化されていったが、耕地整理で定められた区画がそのまま活用されている。芝地区に近い、蕨市南町と戸田市喜沢にまたがった区域も直線的な区画が広範囲にわたっているが、同様に大正期に耕地整理が行われた区域である。

その耕地整理の際に、字区域の変更も行われた。姉妹サイトのほうに地図を載せているので見ていただきたいが、曲がりくねった境界が直線的になっているだけでなく、いくつかの小字が消滅している。今回発見した字杉橋ももともとは字内谷だった区域の大半が編入している。明治初期の字届出書に名前があるのに、その後の行方が知れない小字はけっこうあるが、多くはこのような耕地整理に伴って消滅したものである。

耕地整理は昭和に入っても行われているが、はじめから宅地化を目的としたものが多くある。浦和耕地整理、与野耕地整理、大宮耕地整理など、もともと町として栄えていた地域やその周辺において、次々と耕地整理が行われた。このときに字区域の変更も行われているのだが、残念ながら昭和初期の耕地整理に関する資料があまり残っていない。字区域の変遷を調べようとすると、そこがネックとなり、追跡が途絶えてしまう。それでも断片的な資料に基づいて推測しているのが現状である。

現在は小字が残っている区域は少ないが、広範囲にわたって境界が直線的になっていたら、その区域は耕地整理(戦後は土地改良)が行われた可能性が高い。現在は小字は絶滅寸前のように思われているところがあるが、農村地域などでは今でも土地改良に伴う字区域の変更が行われていたりする。