浦和市高砂町五丁目

発見日:2023年5月3日

発見場所:さいたま市浦和区高砂町付近

高砂町四丁目は既に紹介しているが、高砂町五丁目は特別な意味を持つ。1965年(昭和40年)に住居表示が実施され、高砂町一~四丁目は高砂一~四丁目になったが、高砂町五丁目は東高砂町になった。同様に、仲町五丁目が東仲町、岸町八丁目が東岸町になった。

仲町五丁目については既に紹介済みである。岸町八丁目はまだ見つけてないが、探せば見つかるような気がする。なんとなくこれらはすべて紹介済みのつもりでいたので、真剣に探していなかった。今回高砂町五丁目を発見できたのも、たまたま通りかかっただけの偶然によるものである。

以前も書いたように、常盤町仲町高砂町の町名はかつての浦和宿の上町、中町、下町が明治期になって縁起の良い名前に変えられたものである。ただし、これらはあくまで通称町名であって、正式な町名になったのは市制施行後の1937年(昭和12年)である。

このとき、市制の準備をしていた浦和町は、新しい町名を一般公募したそうである。昭和2年の浦和総覧にその新しい町名が入った地図が載っているのだが、まず高砂区、仲区、常盤区、岸区に大きく分かれており、その中に本町(一~三丁目)、日出町(一~三丁目)、仲ノ町、春日町、初音町、仲町(一~二丁目)、有楽町、弥生町、行幸町、久保町、鹿島町(一~三丁目)、永住町、富士見町、本石町(一~三丁目)、桜町、矢頭町、林町、清ヶ谷町、若松町、真砂町、末広町といった町名が書かれている。

なんとも豪華な町名が並んでいるが、結局これらが正式な町名となることはなかった。それまで通称で使われていた町名のほうがなじみがあったということだろう。そのせいで常盤町は十丁目まである広大な町になってしまったが。

この話は「地名でたどる埼玉県謎解き散歩」という文庫本に書かれていたものである。この本には他にも興味深い話がたくさん書かれているので、ぜひ一読をお勧めする。