草加市住吉町

発見日:2020年6月21日
発見場所:草加市住吉二丁目付近

越谷市の探索は継続中であるが、並行して草加市も探索している。

草加市は1958年(昭和33年)に草加町が市制施行した際に、市内の大字をすべて廃止し、新しい町名が付けられた。その後、一部の区域では住居表示が実施され、町域や町名が変更されたが、その多くは〇〇町が〇〇になるといったありがちなものである。

住吉町もその例にたがわず、1966年(昭和41年)に住吉町・東町ほかから住吉一・二丁目が成立した。町が取れただけとはいえ、消滅時期が古いのでそこそこ貴重といえる。ちなみに東町はこのときに住吉と中央に分かれ消滅した。実はこの東町のほうを探しに来ていたのだが、見つかったのは住吉町だけだった。

ところでこの住吉町の成立の経緯であるが、もともと多くの大字(北草加、南草加、谷古宇、宿篠葉、吉笹原など)が入り乱れていた旧宿場付近の区域を整理してできたそうだが、文献によって書かれていることが少し異なる。

Wikipediaそうか事典では、1931年(昭和6年)の町名改正で住吉町ができたことになっているが、角川日本地名大辞典では1931年(昭和6年)に草加町の字住吉町ができ、1958年(昭和33年)に町名としての住吉町ができたように書かれている。ちなみに神明町高砂町についても同様に書かれている。

戦前の古い時期に成立した町名が大字として扱われている例はときどき目にする。現在の地方自治法では行政区画として「町若しくは字」が規定されているが、かつての町村制においては、「町」に関する規定がなかったのかもしれない。

しかし、今回のケースは大字ではなく小字なのだ。しかも小字のみで大字はなく、草加町字住吉町となっている。これはいったいどういうことだろうか。大字にするには区画が狭いから小字にしたのだろうか。

ネットで古い住所をググってみると、草加町字住吉町は出てこないが、「草加町字高砂町」が出てくる。あとなぜか、角川日本地名大辞典には記載がない「草加町字吉町」「草加町字草加」まで出てくる。一方、字が付かない「草加町住吉町」「草加高砂町」「草加町吉町」も出てくるが、「草加町+地番」などというものもある。これらを総合すると、行政上は小字扱いだが、実際は通称町名のような使われ方をしていたのではないかと考えられる。