川越市志義町

 

 

 

 

発見日:2019年12月14日
発見場所:川越市松江町二丁目付近

川越市の中心部は城下町だった江戸時代からの古い町並みが残っており、埼玉県随一の観光地となっている。昔からの建物も多くあり、古い地名がたくさん残っていそうな感じはするのだが、これまで一つも見つけられてこなかった。

旧地名が残っていない理由は、町名地番整理が1960年代前半と早かった(川越市は「住居表示に関する法律」の施行前にモデルケースとして町名地番整理が実施された)ことと、古い建物が今も現役で店舗などとして使われており、古い住所が書かれた表札や看板がそのまま放置されたりしなかったためだろう。

そんな訳で、川越市中心部の旧地名はほとんどあきらめていたのだが、今回たまたま、建物に取り付けられたプレート(いわゆるデンリョク)に旧地名が書かれているのを発見した。表札などに比べて目立たないため、これまで撤去されずに残っていたのだろう。

志義町は旧藩時代の川越城下において、川越十ヶ町と呼ばれる町の一つであった。川越十ヶ町やその周辺の町は明治初期には(旧)川越町の小字となり、町村制施行により(新)川越町が成立すると大字川越の小字となった。1961年以降に町名地番整理で現町名に変更されるまで、これらの小字は存在していた。

したがって、今回発見した旧地名は当時の正式地名では大字川越字志義町ということになるのだが、実際には明治期以降も江戸時代の町名を引き継いだ通称町名が使われていた。今回発見した旧地名も通称町名である「志義町」を指しているものと思われる。

ちなみに旧志義町の区域は現在の仲町にあたるといわれている。しかし今回の発見場所は仲町の東に離接した松江町である。この辺りまで志義町の区域に含まれていたことがわかる。