所沢市大字三ヶ島字甲地蔵裏


発見日:‎2017年8月11日
発見場所:所沢市若狭一丁目付近

三ヶ島(みかじま)は西武池袋線狭山ヶ丘駅の北東から南方にかけての広い範囲に位置していた大字である。現在は狭山ヶ丘、若狭、東狭山ヶ丘、西狭山ヶ丘、和ヶ原、三ヶ島(一〜五丁目)などとなっており、大字区域は残っていない。

大字三ヶ島の前身である(旧)三ヶ島村の中心は南部の現在三ヶ島一・三・五丁目になっている辺りであるが、北部には三ヶ島新田が拓かれていた。ただし、三ヶ島新田は三ヶ島村の一部であり、独立した村ではなかった。それ以外の地域は1960年代頃までは原野であったが、その後は狭山ヶ丘駅を中心に住宅地の開発が進み、新しい町となっていった。

狭山ヶ丘という地名は、狭山市に近いから名づけられた、という訳ではない。元々狭山という地名は埼玉県南西部から東京都北西部にかけて広がる狭山丘陵を指すものである。狭山ヶ丘の駅名・地名もこの狭山丘陵から取られている。ちなみに狭山市の市域は狭山丘陵には含まれないが、狭山茶の生産地であったために市名としたそうである。

小字名の甲地蔵裏であるが、この辺りの雑木林の中に地蔵が祀られており、地蔵の森と呼ばれていたことによるようである。現在その森は若狭地蔵市民の森となっている。角川日本地名大辞典の小字一覧には三ヶ島村の小字に地蔵、地蔵裏、地蔵下がある。甲地蔵裏の甲は甲乙丙・・・の甲で、元々あった小字を分割した際に付けられたのだろう。また近くにバス停「甲地蔵」があり、これは字地蔵を分割したものと思われる。