川越市大字的場字初雁塚


発見日:‎2017年4月15日
発見場所:川越市霞ヶ関東五丁目付近

的場は東武東上線霞ヶ関駅周辺から南方のJR川越線的場駅の周辺にかけて位置していた大字である。大字的場はかつて霞ヶ関村に属していた。東上鉄道が開通した際に大字的場に駅が作られ、的場駅と名付けられた。しかし、霞ヶ関カンツリー倶楽部ができたことに伴い、霞ヶ関駅と改称された。その後、国鉄川越線が開通し、新たに的場駅が開設された。なお、霞ヶ関カンツリー倶楽部の現在の最寄り駅はJR川越線笠幡駅である。

霞ヶ関駅および的場駅の周辺の町名は、霞ヶ関東、的場北、霞ヶ関北、的場新町、的場(一・二丁目)などとなっている。霞ヶ関東は霞ヶ関駅の東にあるからそのように名づけられたのだろう。一方、霞ヶ関北は霞ヶ関駅の北にある訳ではなく、おそらく旧霞ヶ関村の北部という意味だろう。的場北は的場駅の北とも取れなくはないが、的場駅からは結構離れているため、おそらくは大字的場の北部という意味だろう。ちなみに的場北には霞ヶ関西自治会がある。これは霞ヶ関駅の西に位置しているからだろう。的場一・二丁目は大字的場と大字笠幡の各一部から、的場新町は大字鯨井の飛び地の一部から成立している。これらは的場駅に近いことから来ていると考えられる。

小字名の初雁塚であるが、かつて的場村には牛塚、三芳野塚、初雁塚などを代表とする的場古墳群があった。その多くは現在は消滅しており、大きいもので残っているのは牛塚だけである。三芳野塚、初雁塚の位置ははっきりとはわかっていないが、三芳野塚は東上鉄道建設の際、初雁塚は川越線建設の際に削平されて消滅したとのことである。

また、現在の霞ヶ関東小学校の辺りには、初雁池と呼ばれる大きな池があったそうである。さらにその東には初雁橋がある。これらを総合すると、霞ヶ関東小学校の北の線路沿いのあたりが初雁塚があった場所ではないだろうか。今回の旧地名の発見場所にも近くしっくりくる。