大宮市大字加田屋新田


発見日:‎2017年3月14日
発見場所:さいたま市見沼区染谷三丁目付近

加田屋(かたや)新田は見沼たんぼの東側北端の辺りにある田園地帯である。江戸商人の加田屋坂東助右衛門尚重がこの地に新田を開き、その後再開発され見沼たんぼの一部となった。

行政地名としての加田屋新田は、明治の合併で片柳村の大字となり、その後大宮市に編入された。1990年代に町名地番変更により、加田屋(一〜二丁目)、染谷などとなった。

現在、大字加田屋新田は思い出の里市営霊園という墓地の一部にのみ残っている。しかし、さいたま市町名別人口表によると、大字加田屋新田の世帯数は1とある。墓地に人が住んでる!?

と思ったが、人が住んでるのはおそらくここだと思われる。今回の地名を見つけた染谷三丁目と道を挟んで接しているが、ここだけ残ってしまったのだろう。

そういう訳で、厳密には消滅していないのだが、ほぼ消滅ということで紹介した。埼玉県にはこういう場所が他にもたくさんありそうである。