大宮市砂町一丁目


発見日:‎2017年2月28日
発見場所:さいたま市見沼区東大宮七丁目付近

下のほうがかすれてしまっているが、「砂町」の下は「一の」と書かれている。この最後の「の」が読めるかどうかで意味が大きく変わってくる。

現在のJR宇都宮線東大宮駅がある辺りはかつて大字砂という地名だった。川越市にも大字砂があるが、それとは別物である。1961年(昭和36年)に大字砂の一部などから砂町一〜二丁目が成立する。

その後、東大宮駅の開業に伴い、1974年(昭和49年)に砂町二丁目、大字砂の各一部などから東大宮一〜六丁目が成立する。さらに平成に入り、砂町一丁目、大字砂の各一部などから東大宮七丁目が成立する。

今回の探索では砂町一丁目だけでなく大字砂も旧地名として見つけている。しかしそのいくつかは砂町(丁目なし)と表記されていた。したがって、大字砂を砂町と表記したものと、正真正銘の砂町を見分けるためには、「の」が重要だったわけである。

なお東大宮七丁目ではほかに、大字堀崎と大字島も見つけている。これらは消滅地名ではあるが、それぞれ堀崎町、島町として名前が残っているので本ブログでは取り上げない。

さて、Wikipedia では、大字砂と砂町二丁目は現存しているが、砂町一丁目は残っていないような記述になっている。しかし一方で、同じ Wikipediaこちらには、「砂町は政令指定都市に移行した際、一丁目が北区に、二丁目が見沼区に分かれている。」という記載がある。

砂町一丁目はすべての区域が東大宮七丁目になったのではなく、一部が残っているのだろうか。しかし、なぜ北区に編入東大宮七丁目を地図で見ると、明らかに北区とは接していない。どういうことだろうか。

実は東大宮七丁目が成立した際、隣接する東大宮一丁目にも砂町一丁目、大字砂の各一部が編入されているのである。東大宮一丁目は北区見沼と接しており、おそらくはこの境界付近に砂町一丁目が残っているのではないか。

ちなみにさいたま市のホームページにある町名別人口表によると、砂町一丁目の世帯数は0、砂町二丁目および大字砂の世帯数は1である。実質的には砂町一丁目は消滅しているといって良さそうだ。