浦和市大字領家字大東


発見日:‎2017年2月23日
発見場所:さいたま市浦和区大東二丁目付近

大東(一〜三丁目)は、北浦和駅から北東にだいぶ進んだところにある。こちらも東端で緑区と接している。1982年(昭和57年)に住居表示実施により大字領家から大東一〜三丁目が成立した。ただし、それより前の1976年(昭和51年)に大東三丁目だけが町名地番変更により成立している。ここでもまた1976年か・・・。

大字領家からは北浦和町、領家(一〜七丁目)、駒場などにもなっているが、これらはもっと成立が古い。今回見つけた旧地名は大字領家の中では比較的見つけやすいものである。小字名の大東がそのまま現町名になっているが、一〜三丁目のすべての丁目で字大東を見つけたので、おそらく全区域が字大東だったようだ。その見つけた三つの中で一番見た目の良いものを掲載した。って、一番でこれかい!

領家という地名だが、中世の荘園制に由来しているそうだ。領家と地頭で土地の所有権を分割した際に、領家側に残った土地に付けられた地名とのことである。

この領家という地名は全国的に存在するようなのだが、特に埼玉県に多い。さいたま市浦和区川口市上尾市にはそれぞれ領家という地名がある。また、さいたま市桜区には大久保領家、川口市には安行領家という地名があり、さらに上尾市さいたま市西区にまたがって平方領領家(平方領々家)という地名がある。これらは元はすべて領家村だった。しかし、明治の初め頃に同じ郡の中で名前がかぶらないようにと、

とそれぞれ領名が頭に付けられた。

ちなみに領とはかつて用いられていた行政区分・地域区分の一つで、特に武蔵国では江戸時代に複数の町村からなる地域の区分単位として用いられていた。この同名回避のために領名を付与した例はほかにもあり、「安行領根岸」「安行領在家」「指扇領別所」「指扇領辻」「南部領辻」などは現在も埼玉県内の大字として残っている。

木崎領領家村は1889年(明治22年)の町村制施行により、木崎村大字領家となった。その後、木崎村は浦和町に編入され、浦和町大字領家となった。