浦和市文蔵四丁目


発見日:‎2016年10月24日
発見場所:さいたま市南区文蔵五丁目付近

今回は「旧浦和市旧町名を語る」企画の番外編である。文蔵は現在一丁目から五丁目まであり、文蔵四丁目は現存町名である。しかし、住居表示実施前と後で、その区割りが大きく変わっている。

1968年(昭和43年)に大字文蔵と大字辻の各一部から文蔵三・四丁目が成立する。その後、1980年(昭和55年)に住居表示実施により文蔵三・四丁目と大字文蔵の残りが文蔵(一〜五丁目)、南浦和、神明などとなる。

この住居表示実施の際に、文蔵三・四丁目の旧区域は現在の文蔵三〜五丁目に分割された。今回紹介する旧地名は、文蔵五丁目にある文蔵四丁目の住所案内板である。町名の後に地番が書かれていることから、住居表示前のものであることがわかる。

この文蔵五丁目の区域に行くと、文蔵四丁目の表札と文蔵五丁目の表札が半々くらいで見られ、異空間に迷い込んだかのような気分になる。そして極めつけの住所案内板である。本来、場所がわかりやすいように付けられた案内板のはずが、かえって混乱を引き起こしている。しかも狭い区域なのにこの一枚のみならず二枚目も発見!

ちなみに文蔵は「ぶんぞう」ではなく「ぶぞう」と読む。ビール190円で人気の居酒屋、鍛冶屋文蔵は「ぶんぞう」である。鍛冶屋文蔵文蔵店とかできたら面白いのに。