与野市大字上落合字神明


発見日:‎2016年12月28日
発見場所:さいたま市浦和区針ヶ谷二丁目付近
現地名:さいたま市中央区新都心

今回発見したのは広告看板に書かれた旧地名である。書かれている地名の場所と発見場所が異なるので要注意である。このようなものも本ブログで紹介してよいかどうか迷ったのだが、看板が現役で設置されていることと、書かれている地名と発見場所がともに埼玉県内であるということを満たせば紹介できることにしたい。ちなみに看板全体の写真はこちらである。なかなかレトロなデザインの看板で味がある。

さて書かれている地名の現住所はどこだろうかと試しに旧住所でググってみると、このサイトがヒットした。そこには旧住所「大字上落合621番地」に対応する現住所として「中央区新都心5番地1」と書かれている。

この中央区新都心であるが、さいたま新都心の西側地区に付けられた町名である。2000年(平成12年)にさいたま新都心がオープンし、2001年(平成13年)に浦和市与野市・大宮市の合併によりさいたま市が成立、2003年(平成15年)に政令指定都市移行に伴い、当該区域が中央区新都心に町名変更された。この区域は町名変更される前は旧浦和市・旧与野市・旧大宮市の区域が混在していたが、新都心になるにあたりすべて中央区編入された。

これは勝手な推測だが、この区域がスムーズに中央区編入されたのは、旧与野市の市域を中央区という名前にしたからだと思う。これが与野区だったら新都心のエリアを持っていかれるのに浦和も大宮も黙っていなかっただろう。中央区という名前には批判も多いが、ちょっとは良いこともあったのかも?