浦和市大字関字後耕地


発見日:‎2016年12月6日
発見場所:さいたま市南区関一丁目付近

旧土合村に所属していた11の大字のうち、これまでに西堀、鹿手袋、田島、新開、町谷、栄和、中島の7つを小字付きで紹介した。そして今回の関が8つ目である。

大字関は現在は関(一・二丁目、大字)となっており、一・二丁目は中浦和駅のすぐ近くに位置している。あまり広い区域ではないため、見つけられないかもと半ばあきらめていたが、区域を探し終えかけたところでアパートの看板に小字付きの地名を見つけられた。

小字名の後耕地は、字後と同じく相対位置を示すものであろう。地名に関する多数の著作がある今尾恵介氏によれば、耕地の付く地名は明治の地租改正で爆発的に増えたそうである。もともとは一つの耕地だったのが広すぎるために分割せざるを得なくなり、前後に分けたのだろう。

これで旧土合村の大字の残りは南元宿、道場、山久保の3つである。どれもあまり広い区域ではなく、見つかる気が全然しないのだが。

ちなみに旧土合村の大字は河川敷を除けばすべて住居表示が実施され町になっている。一方、隣接する旧大久保村の大字(上大久保、下大久保、領家、神田、白鍬、在家、宿、五関、塚本)は今もすべて大字のままである。土合村も大久保村も同じ1955年(昭和30年)に浦和市編入されたのに、この扱いの違いは何だろうか。