富士見市大字水子字三丁目


発見日:‎2017‎年1月3日
発見場所:富士見市谷東三丁目付近

前回前々回と紹介した水谷東地区に関する資料の中に、「2.字名「三丁目」という言葉について」という記述がある。以下に丸々引用させていただく。

(1)水谷東の旧住民は古くから「三丁目」と呼んでいた。
(2)昭和30年代後半から住宅密集地となると,水谷東地区全体を意味するようになった。
(3)その後, 次第に水子内における旧住民が自分達を, 新住民と区別する言葉として使用した。
(4) 富士見一番の場末・水害常習地帯と関連させて呼ばれるようになった。

また「場末」とか書いてる(笑)。まあこのように、三丁目は水谷東を代表する地名なのである。

この三丁目をどうしても見つけたくなり、正月早々該当地域を探しに行った。昔の国土地理院地形図から、三丁目があった場所は現在の水谷東三丁目にあたることがわかる。字三丁目の区域を水谷東三丁目に割り当てるとはなかなか心憎い。

それで見つかったのが今回のブツである。「埼玉県富士見市水子三ノ○○」(○○は地番)とあり、丁目が付く町名でよく使われる省略表記となっている。すなわち、この住民は三丁目を字名としてではなく、水子三丁目という町名の一部として捉えているということがわかる。このほかにも手書きで「水子三丁目○○」(○○は地番)と書かれた表札も見つけており、どちらを載せるか迷ったのだが、より字が鮮明で読みやすいほうを採用した。

ちなみに前回も書いたとおり、字三丁目のほかに字大三丁目というのも存在する。角川日本地名大辞典の小字一覧には両方とも載っている。この字大三丁目はどの辺りにあったのだろうか。

これは私の推測だが、字大三丁目の区域は二度の境界変更ですべて志木市に移ってしまったのではないだろうか。水谷東三丁目の南、水谷東二丁目の南に加えて、対岸(志木市側)の区域の一部も字大三丁目だったのではないかと思う。というのは、対岸の現在志木市柏町一丁目となっている場所で富士見市大字水子の表札を見つけているからである。例の資料では、「200人以上も住んでいる一地区」を譲り渡したとあるので、この一地区が「字大三丁目」を指しているのではないかと予想する。

(2020/06/22 追記)編入されたのは字大三丁目の一部、対岸(志木市側)の区域だけだったようだ。字大三丁目の残りは住居表示実施で水谷東の一部となった。水谷東二丁目の南の志木市の区域はもとから志木市に属していたようだ。