富士見市大字水子字北袋


発見日:‎2016‏年1月1日
発見場所:富士見市谷東一丁目付近

こちらも前回と同じ水谷東地区で発見した。ただし今回は同地区の北部に位置する水谷東一丁目である。例の資料によると、この辺の一部はもとは志木市の市域内で、志木市役所の場所と等価交換されて富士見市に属するようになった。

このときの境界変更の告示がここで見られる(上の昭和47年のほう)。志木市が差し出したのは大字宗岡字袋、字宿の各一部、富士見市が差し出したのは大字水子字大三丁目の一部である。字大三丁目は字三丁目の誤記のように見えるが、字三丁目とは別に字大三丁目も存在していたようだ。ちなみにその下の昭和49年のほうは味場地区への編入である。

さて、今回発見した旧地名の字北袋であるが、袋が付く地名は水流が屈曲している所につくらしい。この辺りは昔新河岸川が蛇行して流れており、そのような名前が付くのは納得である。蛇行した流路の内側はかつては宗岡村に属しており、袋という字であった。そこより少し北に位置しているから北袋なのだろうか。

現町名の水谷東であるが、昔この地が属していた水谷村から名前が取られている。1889年(明治22年)に水子村・針ヶ谷村が合併して水谷村となり、1956年(昭和31年)に鶴瀬村・南畑村と合併し富士見村となった。ちなみに水谷という町名もある。

水子○丁目とせず、水谷(東)としたのは、水子の名前が縁起が良くないからであろう。同じ理由で大字水子にできた東武東上線の新駅の名前はみずほ台となった。