浦和市大字太田窪字善前北

発見日:2019年5月4日
発見場所:さいたま市南区太田窪五丁目付近

大字太田窪には善前北と善前南という小字があった。もともと善前と呼ばれていた区域を二つに分割したものと思われる。しかし善前北と善前南の位置関係を見ると、南北というよりはむしろ東西に分かれている(西が善前北で東が善前南)。善前北と善前南は一応隣接しているが、その境界は短く、二つに分かれたのは必然といえる。善前北の区域の大半は住居表示実施により太田窪五丁目となり、残存区域はわずかである。一方、善前南は全域が残っている。

小字は北と南に分かれたが、善前の呼び名もまだ使われている。善前北の区域には善前墓地が、善前南の区域にはバス停「善前」、善前小学校、善前公民館がある。一方、善前南公園、善前南第二公園、善前南第三公園、善前南自治会館と善前南の名前を冠した施設もある。

ちなみにさいたま市の地形図には、善前北・善前南とは別に善前という小字が記されている。善前南のさらに南方の川口市との境界あたりに位置しており、善前南とは接していない。さすがに何かの間違いだと思うが、なぜこうなったのだろうか。

(2022/1/20 追記)さいたま市地形図に書かれている善前は、かつての芝村の飛び地が編入した大字太田窪字善前(元芝分)だったようだ。