浦和市大字別所字西野


発見日:‎2017年8月5日
発見場所:さいたま市南区別所五丁目付近

このブログを始めたばかりの頃に大字別所字西野台を紹介したが、今回は大字別所字西野である。台が付くか付かないかの違いだけであるが、実はこの違いは大きい。

浦和駅の周辺が住宅地として整備されたのは、大正期のことである。詳しくはこのサイトに書かれているが、浦和耕地整理事業によって宅地が造成され、特に駅から西に少し離れた地域には碁盤目状の街区が形成された。その後、関東大震災が起きると東京から多くの人々が移り住み、地盤が固い台地上の地域は文化人や医者などが住む高級住宅地となった。特に別所沼を望む高台に位置する鹿島台と呼ばれる地域には、画家が多く集まり芸術家村を形成していたといわれる。

上のサイトに載っている整備前の地図には、字鹿島臺(臺は台の旧字)という文字がうっすらと見える。字鹿島台は浦和町の小字で、この辺りに作られた住宅地が鹿島台と呼ばれるようになったのであろう。そして、その隣には字西野臺、さらにその下には字西野の文字が見て取れる。これらは六辻村大字別所の小字である。

このうち字西野台の区域は鹿島台と合わせて住宅地を形成している。しかし、字西野は台地の下にあり、住宅地となった区域からは外れている。大字別所のうち、台地上に位置する地域は1965年(昭和40年)に別所一〜四丁目となった。しかし、その他の地域が別所五〜七丁目となったのは1990年(平成2年)である。住宅地として整備されたのがかなり遅いということがわかる。

そういうわけで、埼玉県屈指の高級住宅街と呼ばれる別所であるが、一〜四丁目とそれ以外では歴史の深さが違うのである。とはいえ、今は埼京線も通り、新しい町のほうが便利かもしれないが。