浦和市大字太田窪字大在家


発見日:‎2017年2月8日
発見場所:さいたま市南区太田窪二丁目付近

太田窪(一〜五丁目、大字)は、浦和駅の東方から南浦和駅の東方にかけて位置している。二・四・五丁目と大字が南区、一・三丁目が緑区に属している。1967年(昭和42年)に大字太田窪の一部などから太田窪一〜五丁目が成立した。

太田窪は「おおたくぼ」ではなく「だいたくぼ」と読む。太という漢字は「たい」とは読んでも「だい」とは読まないはずなのだが、もともと大田窪村だったのを江戸時代に役人が太田窪と書き間違えてそのまま現代に至っているらしい。

小字名の大在家(おおざいけ)であるが、在家は領家と同様に荘園制に由来する地名のようだ。隣接する大字大谷口には坊ノ在家という小字もある。大在家、坊ノ在家ともにバス停の名前になっている。

今回の旧地名を見つけた太田窪二丁目の近くに藤右衛門川通りという緑道がある。これは藤右衛門川を暗渠化した上に作られた道路である。人名→川名→道名と二重に引き継がれていてなんかすごい。立てられている案内標識には「Tōuemongawadōri Ave.」と書かれていてもっとすごい。