浦和市本太町四丁目


発見日:‎2016年12月14日
発見場所:さいたま市浦和区本太四丁目付近

本太町は浦和町成立時からの町域ではなく、後に浦和町に編入された木崎村の旧村域内にあった。1954年(昭和29年)に浦和市大字本太から本太町一〜五丁目が成立した。

なお、大字本太からは本太町だけではなく、元町、前地町も同時に成立している。元町という町名は、なにか浦和の起源になった場所みたいな響きがあるが、本太(もとぶと)の「もと」から来ている。ちょっとずるい気もするが、町のブランド化という点では成功しているといえよう。大字本太の前身である本太村は元太村と書かれることもあったようなので、そこから取ったともいえる。

本太の地名の由来であるが、本太氷川神社の鳥居に元府趾と書かれていることから、国府出先機関があったという説がある。ちなみにこの本太氷川神社は今回の旧町名を発見した本太四丁目にある。本太は今はそのほとんどが住宅地であるが、その中では昔の雰囲気を残しているエリアといえる。