大宮市大字指扇字井戸尻


発見日:‎2016‎年‎9月25日
発見場所:さいたま市西区プラザ付近

さいたま市西区の町字はほとんどが大字で、町になっているのは塚本町、湯木町、宮前町、三橋、プラザしかない。

このうち塚本町と湯木町は町とは名ばかりの農村で、荒川の流路変更により大字が分断されたため便宜的に付けられた町名である。宮前町と三橋はともに成立が1959年と古く、旧地名を見つけるのはほぼ無理そうだ。そこで西区内では唯一の新しい町、プラザに望みが託されたわけである。

そんな訳で行ってきました。さいたま市西区プラザ。カタカナ町名の先駆けとしてその筋では有名な地である。ここを訪れる地名マニアは数多いかもしれないが、旧地名を探しに来たやつは私くらいであろう。

さいたま市西区(旧大宮市)プラザは、もともと湿地帯だったこの地を埋め立てて、1971年(昭和46年)に東急不動産が大宮プラーザ団地として販売したことがはじまりである。当初はもともとこの地が所属していた大字指扇、大字西遊馬などのそれぞれの住所が使われていた。しかし、1984年(昭和59年)に住居表示が実施され、大宮市プラザとなる。

団地の販売から住居表示まで間が空いているので、もしかしたら旧地名が残っているのではという期待を持って訪れた。実際行ってみると、団地内には大字指扇、大字西遊馬、大字佐知川などの地名が散見される。興味深いのは、それぞれの地名の後ろに「大宮プラーザ○○-△」と書かれていて、この○○-△の番号が現在の街区符号・住居番号と一致しているようなのだ。したがって、販売当初は住居表示は行われていなかったが、行う予定は既にあったのではないかと思われる。ちなみに旧大宮市内で住居表示が行われたのはここと現見沼区の春野だけである。

さて、大字指扇、大字西遊馬などの地名は発見できたが、これらはすべてプラザの周囲に現存する地名である。したがって、当ブログで紹介するには小字がいるのだが、これが全然見つからない。あきらめて帰ろうとしたそのときに(このパターン多いな)見つけたのが今回紹介する地名である。

この地名が書かれた表札があったのは、おそらく大宮プラーザの団地ではなく、その前から存在していた住居のようだ。しかし、住居表示板がつけられていたので、まぎれもなくここはプラザなのである。たまたま区画内に家があったので、一緒に変更されたのであろう。ある日突然、あなたの家の住所はプラザになりましたといわれた住民の驚きは計り知れない。古い地名の表札を残したくもなるというものである。

これでようやく当ブログで紹介できる地名を得ることができたと思いきや、実はもう一つ問題がある。今回見つけた地名はもとは大字指扇にあったものである。しかし、大字指扇は今もプラザと隣接して現存しているのだ。つまり、大字指扇字井戸尻はプラザ区域内では消滅したが、隣接地域には残っているかもしれない。ここを見ると、大宮プラーザが作られた湿地帯全体を井戸尻と呼んでいたようなので、だいたい区域は一致しているようだが、これ以上は確かめようがない。

そこで小字については発見した場所で消滅していれば紹介できるものとしたいと思う。このようにチートにチートを重ねてではあるが、超難関地域であるさいたま市西区、および旧大宮市で初ゲットを果たすことができた。