上尾市愛宕町


発見日:‎2017年12月10日
発見場所:上尾市愛宕二丁目付近

現在JR高崎線の駅がある上尾はかつて中山道の宿場町として栄えていた。宿場とその周辺の農村を含む区域は上尾宿と呼ばれ、町村制施行後は上尾町の大字上尾宿となった。大字上尾ではなく大字上尾宿となったのは、上尾宿とは別に上尾村があったからである。元は一つの村だったのが上尾宿・上尾村・上尾下村に分村したとのことである。ちなみに上尾村、上尾下村はそれぞれ大字上尾村、大字上尾下となった。

大字上尾宿の区域のほとんどは1965年(昭和40年)〜1967年(昭和42年)に住居表示実施により新しい町名となった。今回そのエリアを調査してみたのだが、旧地名である大字上尾宿は全く見つからず、代わりに以下のような地名表記をいくつか発見した。

  • 現町名と同じか、後ろに「町」が付いている
  • 丁目に分かれていない
  • 住居表示ではなく地番表示である

この形で見つかったのは仲町愛宕町・本町・東町の4つである。この中で現町名と異なっているのは愛宕町だけなので、本ブログでは愛宕町のみ紹介する。ずいぶんと効率が悪い探索である。

しかし、なぜこのような表記がいくつも見つかるのだろうか。角川日本地名大辞典によれば、住居表示実施前の地名は大字上尾宿のはずである。辞典を信じるならば、これらは通称町名として使われていたものと考えられる。

愛宕町の由来であるが、もともと上尾宿は上宿・中宿・下宿に分かれており、のちに上町・仲町・下町となった。下町に祀られていた愛宕神社の合祀に町民が反対し、明治42年に神社を現在の場所に遷し、町名を下町から愛宕町へ変更したとのことである。ちなみに上町、仲町は現在の町名に受け継がれている。では本町、東町はというと、これは元は上尾宿の農村部にあたり、字本村が本町に、字片足が東町となった。

なお、大字上尾宿は現在も一部区域(字向原)に残っている。これはもともと飛び地だった区域のようだ。ここでは大字上尾宿の表記も現存している。