足立町大字大原


発見日:2016年8月13日
発見場所:志木市本町四丁目付近

足立町大字大原。この地名には深い謎が隠されている・・・。

そもそも大字とは明治22年に公布された市制および町村制の施行時に旧来の町村名を残したものである。しかし、付近に大原町や大原村という町村があった記録はない。

この謎を明かすには、志木市が辿ってきた複雑な歴史を紐解く必要がある。1889年(明治22年)に町制が施行され、志木宿は単独で志木町となる。1944年(昭和19年)にいわゆる戦時合併により、志木町、内間木村、宗岡村、水谷村が半ば強制的に合併させられ、志紀町となる。戦争が終わり、合併は解消され、元の1町3村に戻る。そして、宗岡村と再合併した足立町を経て現在の志木市に至る。

ここまでは志木市のホームページやWikipediaにも書いてある良く知られた話である。しかし、実は戦時合併とその解消の前後で、志木町の区域は微妙に変わっているのである。

http://uub.jp/frm/55600.html#55654 より抜粋

● 総理廳告示 第三十号
   町村の廃置分合
 地方自治法第七條第一項の規定により、昭和二十三年四月一日から、埼玉縣北足立郡志紀町を廃し、その区域を分けて左記の通り 志木 ( しぎ ) 町、 内間木 ( うちまぎ ) 村、 宗岡 ( むねおか ) 村及び 水谷 ( みずたに ) 村を置く旨、埼玉縣知事から届出があつた。
 昭和二十三年四月二日
内閣総理大臣 芦田  均
一、志木町 大字志木及び大字宮戸の内字大原の区域
一、内間木村 大字浜崎、宮戸(字大原を除く。)、田島、上内間木及び下内間木の区域
一、宗岡村 大字宗岡の区域
一、水谷村 大字水子及び針ケ谷の区域

そう、この「志木町 大字志木及び大字宮戸の内字大原の区域」の箇所である。「大字宮戸」とは、旧内間木村に所属していた大字である。この大字宮戸のうち、「字大原」だけは内間木村に戻らず、志木町に加わるということをこの告示は示している。そしてこの志紀町大字宮戸字大原が志木町大字大原となり、さらに足立町、志木市と受け継がれていったのである。

ちなみにその後大字大原はどうなったかというと、Wikipedia本町 (志木市)にあるとおり、

1972年(昭和47年)1月1日 - 大字志木と大字大原の各一部から本町一丁目から六丁目が成立。

となるのである。めでたし、めでたし。


(2021/08/14 追記)大字大原の成立は志紀町が解体されたタイミングではなく、その10年後の1958年に朝霞町から大字宮戸の一部が足立町に編入されたのを機に、まとめて大字大原となったようだ。